現代風に訳せば、青年会議所
わかしゅうひょうじょうどころ

島根県出雲市今市町468
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彼らは一風変わった面々である。というのも、せちがらい今の世にあって、
自らも食っていくのがやっとであるというのに周辺に住む人々のために大掛
かりな村祭りを催したり、幼い子どもたちにものを教えたりしている。極端な
のになると国外にまで出かけていき、貧しい異国人のために寺子屋を作事
(建築)したり、用水路を普請(土木)したりしている者もある。稀有といえば
それまでだが、けして彼らは上士階級(高級官僚)ではない。郷士、いわば
下級武士といってよい。当然ながらお上からの知行をいっさい受け取らず自
ら保持する先祖伝来の財産と己の能力のみで生きている。それらが誰かに
頼まれたというわけではなく、自分たちの意思でせっせと不特定の病人のた
め血を献じたりしているのだ。当然自弁である。しかしいかにもの好きとはい
え一体何が彼らをしてそのような奇特な行動に駆り立てているのだろうか。
まったくの他人から見れば不思議でしかたなかろう。彼らに対する上士のほ
うはむしろ旧態依然とした社会システムの側に属し、昭和の繁栄の幻をいま
だ引きずりつつある特権階級といってもよい。特にこれら上層部は公務を押
し立てて官営の豪華な邸宅に住み、高級な籠を乗り回している。これが幕府
はおろか日本中の藩という藩の行政体質となっているのだ。さらに各藩ご用
達の大手商人も商業上の利権目当てに有力大名に接近し互いに便宜を図り
あう関係が抜き差しならず、官産癒着の状況をつくりだしている。まさしく手に
おえないのである。それでもかつては我が国が始まって以来の経済的繁栄を
行政の立場で主動力を発揮し支えてきたのは我ら上士なのだという自負があ
ったし、事実そうであった。ただし、それも時代が移り、失われた十五年と呼ば
れる平成の大不況の只中にある今、とっくにこれらは巨大な利権集団と成り果
てている。それに対し、武士のはしくれとしてこの事態を見過ごしにできぬ、と
力んでいるのが彼ら若衆評定所だといえよう。(であってほしい)しいていうな
ら青年という年齢が彼らに激しい行動を要求しているともいえる。頭でなら誰で
も解ることをあえて自ら行動する点において、他に類を見ない集団なのかも知
れない。
●組織
さて、若衆評定所の組織について話す。彼らの集団としての目的とは何か。
一言でいうと社会変革であろう。もう少し言葉を足すと、混沌とした世の中の価
値観とそれに基づく混乱を打破し新しい秩序を形成することにある。彼らはお互
いの立場を目的を同じくする同士であると考え、基本的に平等を重んずる。そこ
になにやら時代の新しさが感じられる。またそこが欧米列強の盛んな自由民権
運動の影響を表しているともいえる。しかし同時に座長(理事長)を頂点として強
固な縦型社会を形成している。このあたりは伝統的武士社会そのままといって
よく、一見互いが矛盾しているのが特徴ともいえるが、日本人の社会ではこの
あたりの混乱は不思議にない。例えば、結婚は神道、葬式は仏教、クリスマス
のときだけクリスチャンになるのと同様、現実の中に絶妙にはめ込んでしまうの
だ。さて、ひとたび事が起これば、早速座長の名により評定が召集され、喧々諤
々の激論の末、自分たちの行動を決する。仕組みとして組頭(委員長)以上に
評決権があり、自分の配下の意見を事前に吸い上げた上で評定(協議会)に望
む。そこで出た結論には絶対服従である。例えば先ごろ、神戸川が氾濫した時
にも、集団として参加した中で災害復旧に多大な力を発揮し各方面の絶賛をは
くしたのはその組織力があるからであった。
●三信条
日常、三信条という言葉をよく使う。これは先にあげた集団としての目的を達
成するための心構えであり、奉仕、修練、友情という三つの要素からなっており、
奉仕は無償の社会貢献、修練は己を磨く武士としての素養、友情は同じ釜の飯
を喰う仲間を意味する。だがあらためてこの三つの字面をながめてみると、その
中に彼らの激しさと若さが凝縮されているような気がする。奉仕を世を治める道
の一つとすれば、まさに武士としての存在理由はそこにあり、商人の道とは大い
に異なるところだ。つまり、見返り無用なのだ。現実には先にもふれたように上
士が公に対する奉仕者であるはずだが、常にこれに不満をいだき、というよりも
それらに先駆けるのだという気構えに満ちている。知行(官給)を持たない故に、
彼らの行動はともすれば藩幕府を動かすにいたることは実に多い。(であってほ
しい)
次に修練だが、彼らは日々、評定で意思決定をする以上、議論の向上を基礎
にしているのが特徴といえる。古来、侍が刀術を磨くがごとくディベートを鍛錬す
るのだ。また各界の師を招いて勉学にいそしむといった心と頭の鍛錬も同時に
おこなう。ところが世間では上士ほどこれを行なわない。(出世のための試験は
あるが)なぜなら彼らの社会だけ未だ太平の世がつづいているからだ。(当然
のことながら、幕末という言葉は明治の世になってから使われだした。今の世を
生きるものにとって、まさか今この瞬間が幕末であるという自覚があろうはずが
ない。そこを思えばいかに彼らが自ら乱世の風雲に身を投じるごとく修練を重ね
ているのか、その気持ちが痛いほどに解るのである。)
さて友情だが、この言葉を照れることなく堂々と人前で語れるのが若さというも
のであろう。日々大官町で痛飲し、天下国家を語り、友情を口にするなどというの
は、もうそれだけで他人には修道(男色)の気があると思われても仕方がないが、
実のところこれほど友諠にあつい集団も珍しい。これら三つの信条がバイブルに
も憲法にもなり、それを貫いていこうという姿は、あくまでも堂々として力強いこと
はまちがいない。ちょっと飲みすぎるが。
●利と義
彼らは何を欲するか。名誉(名)か、それも無いことはなかろう。しかしあれほ
どの激しい行動の引き換えにできるメリットとはいったい何であろうか。おそらく
メリット(利)ではなかろう。誠の武士であれば利ではなく、義のために生きてい
るのだと怒るにちがいない。それだけのプライドがある。しかし、現実には口に
できない本心の底に何か利を思わねば今度は生の人間としての存在に関わっ
てくる問題があるといえよう。そういう視点で見えてくるものがいくつかある。一
つは人脈という利だ。これほどの志とエネルギーをもった人間たちと朋輩として
同じ時間を過ごすことは、少なくともリスクを避けて貝殻の奥に閉じこもりただじ
っとしているだけの時間とは雲泥の差といえるちがいがあるだろう。さらには器
量を自然に身につけていく利がある。これが最大のメリットといえるだろう。学問
や話術、あるいは算用の技などはそれなりの取り組みで身につくものだが、器量
だけはそう簡単にいくものではない。生まれつきによる要素が大きいためだ。究
極的な例えをすると、戦にのぞんで殿の馬前で配下がたやすく死んでくれるか否
かということがある。そう簡単に雇い主の前で死をかけて突撃していくものなど
いない。この人のためなら死ねる、という思いにはけして損得では図れない何か
があるのだ。扶持(給料を払う)するのみで人を従わせるのとは大違いである。
それがこの集団の作り出す熱すぎるほどの友情の中にヒントが隠されている気
がしてならない。ただし、それもこと器量という面ではいかにこの集団の一員で
あるとはいえ十人に一人として身につけることは困難でり、それこそ「わしのた
めに死んでくれ」とでも言おうものなら、「おまえが死ね」と逆さまに討たれかね
ない。そのくらい十人並みでない器量を養うということは難しいことである。逆に
いうとこれを身につけることができたなら、もはや怖いものなしともいえる。労多
くしてその利を得ること困難であるが、逆に安易で気楽な集いから得るものは当
然希薄でたいがいつまらぬものだといえる。心根の定まらぬ者にはもともと消化
できない難物かもしれない。
●青年
彼らは若い。というのは、年齢ではなく現代における社会全体からその立場を
見たとき、やはり青年なのだ。(かつて45代某座長は40歳になって初めて元
服するといった。)それに対するものが大人とすれば、読んで字のごとくこれは
常識があり、落ち着いた人格者のことを指すであろう。人格者とは体制の中で
自己を見出していくもののことである。従って、変革とか新秩序という言葉から
は対極的な立場にある。いずれは大人になる。(当たり前すぎるが)その前に、
もの分かりがよいといわれず、長いものには常に巻かれず、人の顔色をうかが
わず、二つの意見があるなら多数派に身を寄せる、まるで政治家のような態度
をとらず、迷わず自己の理想に突き進んでいくものが青年である。世に生まれて
きて、そういう時期を持つことなく財産と地位だけに恵まれるのはかえって不幸
といえる。彼ら、若衆評定所だけがこの混沌とした社会に対し、日本人が持つ
べき普遍の価値観と生き方を示し得るであろう。続く・・・・
はじめに
自分のことを書くのだというので、そういうことならと実ははりきっていた。
世相に切り込んでいくものがよいかなどと高い目線で空想に浸っていたのだが、
タイトルは「よた話」である・・・。世相を斬るどころか、従業員に一刀のもと斬り
捨てられたのだった。一気に卑屈になったね。ま、確かに毒にも薬にもならない
話を書くのだから、ブログはそんなもんだと・・・。
気を取り直し、記念すべき第1回目の話題はとりあえず自己紹介などはせず、
次回はしますけど・・。かつて(4年前)自ら励んでいた社会活動を風刺したよう
なエッセイ(っていうかどうか)を載せるべしと存ずるのだった。だって俺の中で
はブログは「武露具」なのだから。(これをよた話っていうんだな)
HP担当従業員:【あの〜社長、大変申し訳ありませんが、この社長のお話はブ
ログには載せません。っていうか、ブログのコーナーはつくる予定になってませ
んでしたが、社長がそれほどまでに「武露具(ですか・・・)」やりたいとおっしゃる
なら、ブログのコーナーも(そのうちに)設けつかまつりまするっテカ。】




